
団塊耕志録と英語
英語との奇妙な縁
先月に開いた1月15日から17日までの「英語乗務員」説明会に続き、昨日(2月19日)および今日、明日と、タクシー乗務員を対象とした「アプリ乗務員」説明会を、私が代表理事を務める静岡TaaSで開催している。
説明会には40人を超える静岡市内のタクシー乗務員が参加してくれており、大型クルーズ船が寄港する清水港・日の出埠埠頭におけるスポットでのタクシーチャーター手配から、より着実な事前の募集型企画旅行によるプライベートタクシーツアーへの集客拡大に向けて、乗務員のガイド化を「英語乗務員」や「アプリ乗務員」として実現しようと企図して開いた説明会である。
クルーズ船でやって来る海外インバウンドのお客様を対象に、性能が向上した通訳アプリを駆使してタクシーツアーを実施しよう、という企画だ。
割の良い貸切ツアーを受注して売上を伸ばしたい、という乗務員が多いのも確かだとは思うが、一方で、「通訳アプリ」乗務員からレベルアップして「英語乗務員」になり、自身を「タクシーサービス+英語ガイド」の提供者として成長させていきたいと意欲をみせる乗務員もいる。
そうした姿を見ていると、ふと50年近く前の自分を思い出す。当時26歳で、それまでの自分の生き方において挫折し、タクシー業界にいわば拾われた形で乗務員になっていた私は、生きがいを失っていた。その時に救いになったのが、高校卒業以来遠ざかっていた英語の世界であった。
当時のタクシー乗務は、待機時間が長く、英語の勉強の時間はふんだんにあった。まだ若かったので一所懸命に勉強して外国へ留学しようと志し、外国人との会話の機会を求めてタクシーのフロントガラスに「ENGLISH SPOKEN」と書いたパネルを表示したりもしていた。しかし、様々な経緯から外国に留学することもなく、英語力も半端なレベルで終わってしまった。
このタクシー乗務員時代の英語との関りについては、コラム団塊耕志録の第4回と5回で「英語を勉強するにはタクシー乗務を(その1)(その2)」で書いている。
現在の私は75歳の後期高齢者であり、そうした年齢でクルーズ船のインバウンド客に対する仕事の一環として、英語の学習を迫られていることは大変でもあるが、その一方で有難いことでもあると感じている。
振り返ってみれば、結果的に英語の習得と言う点で、いずれも中途半端に終わっているが、自分の人生の中で、英語との関りが様々な場面であり、そして、それらの出来事をこの団塊耕志録にコラムとして書いてきたことに奇妙な縁を感ずる。未完の「英語道」のジグザグを、自分の歴史の中で確認するのも楽しいかも知れない。
オリジン時代の英語
システムオリジン時代は、タクシー専門のソフトハウスとして、およそ英語の世界とは縁が薄かった。
ただ、まだシステムオリジンの事務所が、東海道五十三次の二十一番目の宿場町であった岡部(現在の藤枝市)にあった創業まもない頃、山あいにあった事務所に西洋人が突如として迷い込んで来て道を聞かれたことがあった。それに、たどたどしい英語で答えたことがきっかけで、ちょっと親しくなり、当時自分が住んでいた清水市(現在は静岡市)のアパートに一泊してもらったことがある。
その時に何を話したかはあまり覚えていないが、経済的な話に何も答えることが出来ず、歯がゆかったことだけは今でも覚えている。
チームネクストの時代の英語
英語にはあまり縁が無かった私のシステムオリジン時代だが、2008年に「チームネクスト」を設立し、時に海外研修を行うようになってからは、改めて「もっと英語を話すことが出来たら!」と思う機会が増えた。
2015年3月の第73回コラム「肥後とロンドン」、2016年の第95回「チームネクストin NEWYORK」、そして第104回「続TSTiEドライバーになろう」では2017年9月のフィリピン・マニラ研修に備えた2週間のマニラでの語学留学に触れている。これは、その年の6月にチームネクストの事務局長である野田さんと、9月に予定していた研修に備えて、マニラの新聞社や大学に下見に行った際、あまりにも自分の英語力の酷さに焦りを感じ、急遽、その前の8月に2週間の短期の語学留学を行った時のものだ。
しかし、語学はこうした短期の留学ではどうにかなるものではなく、9月の研修は英語的には不本意な結果に終わってしまった…。
TSTiEドライバーになろう!
TSTiEとは、2015年から東京ハイヤー・タクシー協会が取り組んでいる観光英語対応タクシードライバーの認定制度であり、この制度が通訳案内士法の改正で「地域通訳案内士」の資格と合体し、このTSTiEを取得すれば自動的に東京都認定の地域通訳案内士の資格が得られる、というものだ。
コラム団塊耕志録の第101回(2017年5月)でこの制度に触れ、自らこの資格にチャレンジしたいと思い、その資格取得の条件である「東京都のタクシー乗務員であること」、「東京シティガイド検定の合格」、「ユニバーサルドライバーの研修」、「東京観光タクシードライバーの認定研修」、「TOEICで600点のクリア」、「観光英語対応ドライバー認定プログラム(20時間程度の研修+スピーチテスト)」の完遂を目指した。
その結果、第110回(2018年2月)のコラムで、最後の研修プログラムを修了し、形の上で「東京都地域限定通訳案内士」の資格を得たが、資格は単に土俵に上るための必要条件であり、よい相撲が取れるかどうかはその後の実践での努力次第である、ということを痛感した。
結局、一度も通訳案内士としての実務に携わることもなく、2018年10月からDiDiアプリの全国展開を手伝うことになった。DiDiモビリティジャパンの社内では、英語が飛び交っているのだが、日本人社員と中国人社員の英語トークには、ただただ感心するばかりで、そのトークに加わることは残念ながら出来なかった。一方で、英語でトークが出来ることが仕事の本質ではないことを学んだのもこのDiDiモビリティジャパンでの2年間であった。
DiDiモビリティジャパンでの仕事が終了した後、東京の住居を引き払い、静岡に戻ってタクシー会社・駿河交通のM&Aと一般社団法人静岡TaaSの設立に携わることになった。
そして、静岡TaaS設立3年目にして、クルーズ船インバウンド客への営業とタクシーチャーターの配車を通じて英語での実務に携わることになった。
現在、静岡TaaSでは2人の英語ネイティブ外国人材と、10人を超える日本人の英語人材がおり、さらに念願の乗務員自身が新たな能力として「英語乗務員」や「アプリ乗務員」という形で単に「タクシー運転サービス」の提供に終わらないレベルにチャレンジしようとしている。
タクシー産業の生産性を上げるには、もちろん「地域全体最適プラットフォーム」の構築も必須だが、乗務員が自らの英語能力を高め、インバウンドという新たな需要を取り込み、時間当たりの生産性を高める必要もある。まだ始まったばかりの「英語乗務員」や「アプリ乗務員」の仕組みだが、これからの実践の中で鍛えられ、成長していくものと期待している。そうした中で、私自身の英語力も鍛えられ、タクシー乗務員時代の自分が目指したような、英語を通じての世界との自由な触れ合いが実現することを、遅ればせながら期待している。
(2025年2月20日記)
清野 吉光(きよの よしみつ) 略歴
1950年 長野県四賀村生まれ、印刷関係など様々な職業に従事。1976年 清水市の日の丸交通入社。1980年 静岡市内の事務機器センターに入社。1982年 システムオリジンを仲間と創業、専務取締役。1992年代表取締役社長就任。2016年3月 システムオリジン社長退任。クリアフィールド取締役。2021年3月 システムオリジン戦略企画担当取締役に就任。2021年5月 一般社団法人静岡TaaS代表理事に就任。
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