50年後の”自分“に何を語るのか?
チームネクストセミナー合宿in函館
今月は第20回となるチームネクストのセミナー合宿in函館が7月9〜10日にかけてあった。
「デマンド交通&先進観光タクシー視察」というテーマで、初日は、公立はこだて未来大学の超未来的なキャンパスにおいて株式会社未来シェアが開発したリアルタイムのオンデマンド配車システムに関する講演を聴き、翌日は道南ハイヤー様の4台のジャンボタクシー車両を使った同システムのデモを体験した。
株式会社未来シェアが開発した最新のAI(人工知能)技術を駆使したオンデマンド配車システムの体験では、チームネクストの会員が各自のスマホを使って乗車場所と降車場所の希望を出すと、AIが最適車両を割り出して配車、運行するというシステムを、観光を兼ねて実際に利用した。
タクシーに限らず、他の移動手段を含め、トータルな地域の最適配車・移動システムという意味で、非常に斬新で先進的なものであると感じた。が、そうであるが故に、各地域で移動手段の連携・統合が進んでいないが為に、現実のシステムの立ち上げには苦戦しているようだった。
技術的な課題よりも、社会的・政治的な障壁の解決が問われているようだ。
本紙タクシージャパンの7月10日号のほか、各業界紙・誌やチームネクストホームページでもこの「セミナー合宿in函館」のレポートが掲載されるので、是非参考にしていただきたい。
松本深志高校の「尚学塾」
非常にマイナーで個人的な話で申し訳ないが、実は10 月13日に私の母校である長野県の松本深志高校で50年後輩の現役高校生の皆さんに先輩として話す機会を与えられた。
私の在校当時に9つあった各クラスから「特別授業」を行う人間を一名選び、その人間の経歴やテーマを現役高校生の皆さんに提示し、どの先輩の授業を受けるか選んでもらおうという趣向である。従って一人の学生も選んでくれなければ、無人の教室に向かって「特別授業」をしなくてはいけない!(どうしよう…)。
「尚学塾」と銘打ったこの「特別授業」は、「先輩」にもなかなか厳しい「試練」(?)の場のようだ。
田坂塾の特別講和
おりしも7月6日に、再三このコラムでも触れている田坂塾特別講和第16講があり、そのテーマが、「真のエリートとして生きる 学歴社会が崩壊する時代、何を身に付け、何をめざし、生きるか」であった。
地域の進学校として、いわゆる社会的エリートを目指すであろう、私の50年後の後輩たちに自分は何を語れるだろうか?
いわば社会的エリートの対極のような人生を送った自分が、彼らに何を語ったら良いのか?
実はこの田坂塾の特別講和の内容は、私にひとつの語るべき方向性を与えてくれたような気がする。それは「学歴も結構だが、それだけが『人生の充実』を保証するものでは無い。いつでも、どこでも、そしていくつになっても志を育み続ける幸運に恵まれれば、それで良いのではないか?」ということを私の経験と人生から語れれば良いかなと思った。
いつもの如く、この田坂塾は講和を聴くだけでは完結せず、自分自身のこの講和への所感を必須とする。紙数の小間の穴埋めの様で心苦しいが、私の田坂塾長への所感を引用させてもらい、このテーマに関する私の考え=「感慨」としたい。
田坂塾第16講所感
第16講の講義ありがとうございました。
私にとっては切実なテーマでした。というのはたまたま私の母校である松本深志高校では毎年、現役の高校生に50年も先輩にあたるOBが「尚学塾」という名で、何事かを語る場(特別講義)が与えられます。9クラスあった当時(1968年卒業)の各クラスから一人、50年後の自分に語り掛けるように、現役の高校生に語り掛けるという企画です。
たまたま我がクラスからは変わった経歴を持つということで、私に指名がありました。名誉なことだとは思うのですが、果たして何を語ったら良いのだろうか、と今から(特別講義は10月13日なのですが)思案に暮れています。
進学校であり、地域ではエリート校と称される高校ではあるのですが、まさに第16講のテーマである「真のエリートとして生きる 学歴社会が崩壊する時代、何を身につけ、何をめざし、生きるか」ということを自分の体験の中で語れたら良いのですが、なかなか難しいと感じています。
「真のエリート」とはとても口幅ったくて言えませんが、ただ、学歴という点では大学を中退したことから高卒という資格であり、また社会的にも学生運動とはいえ逮捕歴3回の前科2犯という落ちこぼれであっても、時々の志を捨てさえしなければ、生きがいを持ってそれなりに社会のお役に立てるという実例として、現役の高校生に語り掛けてみたいと思います。
第16講の資料の中で「あの若者たちの責務」という文章を拝見しました。まさに私自身も「あの若者たちの一人」であり、私にとっては18歳からの50年の歳月を、「天下、国家と革命」というレベルか
らは随分土俵は下がりましたが、「一隅を照らす、これ国の宝なり」という最澄の言葉に励まされながら、自分の置かれた場での志を育み続けた「耕志」の気持ちだけは語ることができるとは思っています。
多分に結果を問わない、自己満足の世界ではありますが、「68歳になっても、18歳の深志生の時と同じ気持ちで人生を送ることは出来るんだ」ということだけは伝えたいと思っています。
50年を隔てた深志高校の現役生が果たして、どのように感じてくれるのか、楽しみでもあり、怖くもあります。以上、所感としてさせていただきます。 清野吉光
「あの若者達の責務」(抜粋)田坂広志
あの若者たちは、若き日の情熱と志を抱き続け、この国を、良き国に変えることができたのだろうか。
混迷する政治、低迷する経済、共感を失った社会、浮薄な文化、そして大切な事を忘れた、我々の精神。その寂しい現実を見るとき、一つの静かな覚悟が、心に残ります。
あの若者たちには、未来の世代のために、まだ、為さなければならないことが、ある。
その思いが、心に残るのです。
(2018年7月23日)
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