続々物語は何処に?
「DIE WITH ZERO」と「THE GOOD LIFE」
齢73歳と半年になった。
人生100年時代とは言え、それなりに長く生きた。
8月は自分の生きた物語を振り返るにふさわしい月だ。
63歳の夏、8月に『物語は何処に?』というコラムを書き、さらに64歳の夏8月に『続物語は何処に』というコラムを書いた。共に、生まれ故郷である長野県での中学校の同級会に触発されて、自分の人生という物語に思いを馳せた感傷的な一文であった。
あれからいつの間にか10年が経ち、コロナで中断していた中学、高校の仲間との直接の交流が復活した。そして外から見れば「終わった」老人達が、いまだに新たな物語を紡ごうとしていたら奇異に思うかもしれない。正直、死は身近にある、と頭では思うが、実感はない。どう見ても老人にしか見えない昔の同級生も、話をしてみれば「あの頃」と何も変わらない。が、改めていつ来るか分からない「最後」をどのように迎えるか、そしてまだ終わっていない人生を少しでも良きものにするために何をすべきか、について知りたい欲求に駆られる。そうした衝動の中で強く共感した2冊の本がある。
「ゼロで死ね」(DIE WITH ZERO)
この本は、ビル・パーキンスという人が書いたもので、死ぬときにカネを残しているな!というものだが、その本意は、金を稼ぐ、貯めることを生きる目的にするな、人生で一番大切なのは、思い出を作ることだ、その為にカネと時間を使え!という趣旨だ。
日々のお金で困っていれば、何を甘い事を言っているのだということになりかねないが、しかし、生きることの根本的な価値観に係る問題だと思う。そして「良い人生とは何か?」と言うことに通ずる問題だと思う。
「よい人生とは」(THE GOOD LIFE)
この本は、ハーバード大学の80年以上に渡る「ハーバード成人発達研究」の追跡調査の実証的資料に基づいたものである。
1940年代から数世代に渡って、継続的に被験者のヒアリングを行い、ハーバード大学の恵まれた学生から移民や貧困層の人たちまで、多様な人達のその人生を追跡した記録である。
そして、そこから導き出された結論は「健康で幸せな人生」を送る鍵は、収入や地位などの社会的成功ではなく、「よい人間関係」だと結論付けている。
こうした「思い出」「人間関係」が大事だという考えは、一般論として誰も否定はしないだろう。しかし、現実の生活の中で、これを第一の判断、決断の基準にして生きることは生易しいものではないと思う。むしろ、金を稼ぎたい、社会的地位を上げたい、良い暮らしをしたいと思うのが、どちらかというと普通であり、そのためには「思い出作り」に時間と金を割く余裕はなく、また人間関係を壊すことも止むを得ないと思いがちである。
そういう私も決して例外では無いと感じるが、一方で「それで良いのか?」と自問する自分も存在する。自分が生きる価値観は何なのか、何のために生きるのか?どのように生きたいのか?若き日に自分に問うた疑問がふと蘇る。非常に青臭いこうした問いが自分の中にまだあることに驚くが、この疑問に対しての答えを無くしては、自分が一歩も進めないというのも今自分の現実である。
メメントモリ(死を想え)
ラテン語で有名なメメントモリという「死を想え」という言葉がある。自分が必ず死ぬと思うことは、絶望では無く、何故か勇気をもたらしてくれる。もちろん現実の死は怖いが、しかしいつかは死を避けられない以上、何が自分にとって一番大事かを問うてくれる。そして世俗的栄華は死を前にして所詮あだ花でむなしい物だと実感できる。結局死んでしまうのだからと投げやりになる可能性もあるのだが、不思議に「志」や「思い出作り」、「人間関係作り」に伴う困難に立ち向かうエネルギーを、ゆらぎを伴いながらも、与えてくれる。
スティーブ・ジョブズ氏からの贈りもの
丁度12年前の2011年10月に書いたコラムに、アップルの創業者ジョブズ氏の贈りものとして「死について」の言葉が引用されているので私の拙い死生観の補足として再録したい。
《「自分はまもなく死ぬと言う認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。何故なら永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらは殆どすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです」「死は多分生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古い物を取り去り、新しい物を生み出す」
「あなた方の時間は限られています。だから本位でない人生を生きて時間を無駄にしないでください」
禅を通じ仏教徒になったと言われるジョブズ氏の死生観は、「必ず訪れる死」を意識し、見つめることによって逆に囚われない生を目一杯創造的に生きることを目指していたのではないかと思う。見事に全力で走り切った生であり、死であると思う。
(2011年10月24日記す)》
思うにこのコラムは、「ハングリーであれ、愚か者であれ」という題でスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった月に書かれたものである。すでに12年を経過しているが、果たして自分がここで書いたような気持ちで生きてきたか、はなはだ疑問ではあるが、いまでも、苦しい場面での支えの言葉ではある。
去り行く友たち
今年も長野県松本市の郷里に帰り、中学時代の同級生でライバルでもあった友と会った。たまたま彼も心の病を持つ息子を抱え、自分の息子の近況やアドバイスを聞かれた。そして高校時代の同級会にも参加した。地元に残るメンバーを中心に10人が集まったが、容貌はまさに皆70歳を超える老人であるものの、気持ちは驚くほど若い時と変わらない。それぞれに歩んだ歴史がある筈だが、ふっと60年近い歳月を乗り越えてしまう。
が、一方で何人かの訃報も聞かされた。特に非常にセンスの良い文書を書いたO女史の死を知らされて、様々な高校時代の思い出が蘇った。
膵臓癌だったらしいが、家族に温かく見守られての穏やかな旅立ちだったということのようだ。
やはり、思い出は大事だし、人間関係の密度は大切だ。人生の豊かさ、幸福は死ぬときに持っている金の量では無く、自分の人生を取り巻く人間関係の物語の豊かさで決まると改めて思う。まだ遅くはない、さらに新しい人生の物語を紡いで行こう。その時が来るまで。
(2023年8月23日記す)
清野 吉光(きよの よしみつ) 略歴
1950年 長野県四賀村生まれ、印刷関係など様々な職業に従事。1976年 清水市の日の丸交通入社。1980年 静岡市内の事務機器センターに入社。1982年 システムオリジンを仲間と創業、専務取締役。1992年代表取締役社長就任。2016年3月 システムオリジン社長退任。クリアフィールド取締役。2021年3月 システムオリジン戦略企画担当取締役に就任。2021年5月 一般社団法人静岡TaaS代表理事に就任。
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