
続続続 物語は何処に?
8月は自分の紡いできた物語を振り返る季節
例年8月は、出身地である長野県の松本市に帰省する。
現在は松本市に合併された旧四賀村が生まれ育った出身地だが、今も80歳を超えた兄夫婦が健在に暮らしている。そして、同じく長野県の別荘地として有名な八ヶ岳山麓の原村に99歳になる母が一人暮らしをしている。
旧盆の8月に、こうした故郷で、中学や高校時代の旧友と会う時、日々の現実から解き放たれ、自分の紡いで来た物語にふと思いを馳せる。
が、実のところ今年はタイミングを逸し、帰省も出来ず、そうした感傷に浸る機会もなく、日々の仕事に追われていたのだが、突然、高校時代の担任の恩師が亡くなったことを今日、知らされた。
出身高校である松本深志高校は旧制高校の雰囲気を色濃く残しており、個性的な教師も多かった。
書籍『団塊耕志録1』で紹介した上島忠志先生は高校2年生と3年生の時の担任だったが、今回90歳で亡くなられた片桐先生は、1年生の時の担任で、所属していたサッカー部の監督でもあった。体育教科を担当していたこともあり、スポーツマンで、80歳を超えてもシニアリーグの試合などで国立競技場でもプレーをしており、最近まで後期高齢者になろうとする我々の世代の同級会にも最後の教師として出席されていた。
図らずも、突然の恩師の訃報により、故郷とあの時代がよみがえり、34歳で我々の新任の担任となった片桐先生の紡いだ人生の物語に思いを馳せることが出来た。それはまた、18歳の時分に片桐先生の教えを受けた当時の自分にも不思議に思いが及ぶ。そして80歳を超えてサッカー場を駆け巡った片桐先生には及ばないが、私もまた「自分の戦場」の今を駆け巡りたいものだと思う。
静岡市ビジネスコンテスト『UNITE』と『BRIDGE』
今の「自分の戦場」といえば、もちろん静岡TaaSの立ち上げということになるが、前回のコラムで報告した静岡市のビジネスコンテスト『UNITE』と『BRIDGE』は、その重要なステップである。
そして、その第一次審査の結果が本日、8月23日に発表されるはずであった。が、連絡がない。『UNITE』の方は事前の静岡市の担当部署からのヒアリングの対象にならなかったので、不採択であることが推測できた。しかし『BRIDGE』の方への提案は、かなりの力作だという自負があったので、結果発表への期待も大きかった。
ようやく午後6時半を過ぎてから事務局の担当者から電話があり、今回『BRIDGE』への応募が沢山あり、審査が遅れており、結果発表は9月中旬になるとのことだった。特に難波喬司・静岡市長が自ら一件、一件を丁寧に検討しているので、期限に間に合わず発表が延期された、ということだった。
こうした行政のビジネスコンテストは、市から委託を受けたコンサルタント会社が選考し、行政の承認を得る形が多いのだが、第一次の審査から市長自ら検証するのは凄いと思うし、このビジネスコンテストの提唱者である難波市長の本気度が強く感じられる。その意味では、この遅れも歓迎できる。そもそも、この静岡市を活性化するためのビジネスコンテストに審査が遅れるぐらいの多くの応募があり、それがコンサル会社の通り一遍の審査ではなく、市長自らが応募のあった一件、一件に目を通すということ自体がこのコンテストの意味を大きくしている。
得てして、こうしたコンテストや補助金事業は、行政のアリバイ作りとコンサル会社の仕事作りに終始するケースが多いと聞くが、静岡市における今後の難波市政への期待を感じさせる出来事ではある。
コンテストはきっかけに過ぎない
しかし、だからと言って、静岡TaaSの今回のビジネスコンテスト応募案件が選ばれる保証は何もない。
特に『BRIDGE』はテーマが広く、静岡市全体の活性化のためのスタートアップのユニークな提案を広く募っており、応募も多いと聞くから、競争も激しいだろう。
また一方で、静岡TaaSの提案『クルーズ船観光客向け観光タクシーマルチプラットフォーム創生事業』については、今回のコンテストに選ばれなくても、静岡TaaSとしてこの創生事業を着実に推進していくつもりである。
もちろん、選ばれれば行政の後押しのもとに共創相手との協業もよりやり易くなるだろうが、しかし、多少時間はかかってもこの創生事業は推進しなくてはならないし、またその準備は出来つつある。
どのような準備か?
まず、静岡における世界有数の観光コンテンツである富士山を軸に、外国人目線からの魅力ある観光コンテンツ(自然、食、体験など)を数多く醸成し、タクシーによるその体験型観光コースをビジュアル化し、インバウンド客に事前に情報提供し、事前予約に誘導するという課題については、二人の在日外国人スタッフを獲得し、ネイティブであり、バイリンガルでもある彼らの力を活用し、多様な体験型観光コースを開発し、また体験後のインタビューを通じ、インバウンド客の評価を旅程のブラッシュアップに繋げて行く。
また、YouTubeやインスタなどへのインタビュー動画のアップロードにより、全世界への直接的なアピールを継続的に行うことも可能だ。大手のOTA(インターネット上のオンライン旅行会社)への掲載はすでに行われているが、旅程メニューの多様化とコースの増大を図って行く。さらに、既に自社のホームページの英語版を新設していることから、直接の事前予約型の注文受注を拡大して行く。
次に、供給力の制約要因になっているタクシー特大車の不足を、普通車の活用を図ることによってカバーをする。普通車の活用により、特にインバウンド客の中の夫婦や家族などの小グループに対応した3人ないし4人向けの観光コースを用意し、価格面でも割安になるので受注数を増やすことが可能になる。これはクルーズ船現場でのチャータータクシー手配を通じて地元タクシー業界や乗務員との一定の信頼関係を蓄積してきたので、普通車活用の供給の仕組み作りは可能と思われる。
そして、もうひとつの供給のネックになっていたガイドの不足問題については、全国通訳案内士や外国語ガイドの組織化、ネットワーク化を図るだけでなく、タクシー乗務員のガイド化を図ることが必須である。
特に、乗務員の中には既に英検2級レベル以上の英語力を持つ人材が存在する。さらに現在の通訳アプリの高性能化、「ポケトーク」などの通訳専用機器が普及し、それを使いこなすことが出来る乗務員が一定数存在する。このレベルの乗務員を地元タクシー業界と連携して、ホスピタリティ面も含めて教育、組織化し、ネットワーク化することが、増大するインバウンド客への供給力を高める上で、決定的なカギである。
この点についても、静岡県タクシー協会清水支部・静岡支部との今までの連携の蓄積を基に、体制作りが可能と思われる。
かくして、通訳案内士、英語ガイド、英語乗務員、通訳アプリ乗務員のこの4段階のガイドと、特大車、普通車の組み合わせを、インバウンド客のニーズに合わせて提供できるプラットフォームを作ることが可能になる。
併せて、9月上旬からは、図のような静岡TaaSのオフィスカーを、クルーズ船が着岸する清水港の日の出埠頭で稼働させる予定だ。
(2024年8月23日記)
清野 吉光(きよの よしみつ) 略歴
1950年 長野県四賀村生まれ、印刷関係など様々な職業に従事。1976年 清水市の日の丸交通入社。1980年 静岡市内の事務機器センターに入社。1982年 システムオリジンを仲間と創業、専務取締役。1992年代表取締役社長就任。2016年3月 システムオリジン社長退任。クリアフィールド取締役。2021年3月 システムオリジン戦略企画担当取締役に就任。2021年5月 一般社団法人静岡TaaS代表理事に就任。
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